2006-11-07 第165回国会 参議院 内閣委員会 第3号
先生御指摘のとおり、食育基本法には食育の定義規定設けられておりませんが、あえて一言で申し上げるとすれば、法の前文等から、食育とは、食に関する知識と選択力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てることと、という表現が妥当ではないかと考えられます。
先生御指摘のとおり、食育基本法には食育の定義規定設けられておりませんが、あえて一言で申し上げるとすれば、法の前文等から、食育とは、食に関する知識と選択力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てることと、という表現が妥当ではないかと考えられます。
また、食の安全性が問題になっておりまして、食に対する科学的な知識や選択力、それから生産流通に関する知識、あるいは失われつつある食文化の継承、そういったことも本来は家庭の教育力をまつところではございますが、それを超える社会的な状況が起こっております。こういうことから、学校教育の役割が大きく期待されているのではないかと思います。
と申しますのは、選択約款を利用できる需要家というのは、みずからエネルギーを利用、管理できる能力あるいは他のエネルギーと代替できる能力を持っておるという需要家でございますから、そういう意味において、選択約款を御利用なさる需要家さんというのは、そういうエネルギー選択力がある需要家とみなしていいと思うんです。
安部公房の「箱男」の世界なのかなと哲学的に思ってしまうわけですけれども、やはり何か日本の中に欠けているのは、私は、適応力であったり選択力であったり学力──学力というのはどれだけ知っているかではなくて、絶えず学び続ける力、新しい物に挑戦していく力ではないかと思います。
ホラービデオも含め、またテレビ、新聞あるいはその他のマスメディアが大変はんらんしておりますだけに、子供にとってこのはんらんして押し寄せてくる情報をどう処理していくか、その情報の選択力という、そういう力をつけさせることも今後大切だと思いますし、社会一般が余りにも子供に対して無関心過ぎる。
そのために、無認可保育所であるとか幼稚園であるとか、その辺とかなりの子供の奪い合いになる可能性があるわけですけれども、その際に、先ほどいみじくも親が選択力があるのかという話がありました。 私も、その点は非常に危惧をしておりまして、安かろう悪かろうで、とにかく親は安ければいいと。しかも、無認可保育所なんというのは、大型のバスで随分遠くから子供を集めてくるわけですね。しかも保育料は安い。
先ほどから選択ということが言われておりまして、もちろん子どもの権利条約も、子供が第一の権利行使の主体であるということ、そしてその次は親が代行するんだということを言っているわけですが、今現在、非常に親自体が選択力を失っている、あるいは子供たち自身の最善の利益を行使するだけの力を持っているかということに対する疑問がございます。
そういった意味で子供たちが豊かな地域生活ができるよな形での子育て支援、あるいは自立した子育てができて本当に選択力を持った家庭が子供たちに最適な環境が選べるような、そんな親たちを育てる、そのことも含めた子育て支援をしていただきたいというふうに思っております。 以上です。
農業団体といたしましては従来にも増して、将来こういう新しい技術に対しましての選択力を十分強化しながら、農家を守る立場から進めてまいりたい、こういうふうに認識をしておるわけであります。
そして現在あのマークシート方式の問題は、思考力は要らないで、単に選択力さえあればいいんじゃないか、それで高校の学習度が見られるかというふうな指摘があることは重々存じております けれども、しかし、我々の側からいたしますと、芸術を勉強する子供にとって、物理の点が仮に七十点取れないとだめだというふうなことはおかしいのでありまして、高校の教育課程をごく普通に通り過ぎていて、ある程度その知識を頭の中に保留してさえいれば
それで、これは非常に重要なことでございまして、みんな疑問に思っていますから、ぜひ大臣の御見解も承りたいと私思うのでございますが、一体独立採算性とかいうものを強制されております国鉄の、企業側でございますね、企業側が少なくとも建設については半分とかあるいはそれ以上の発言力といいますか、選択力というのは持たなければならぬ、持つのが私は当然だと思うのです。
○鈴木公述人 お説のとおりだと思いますけれども、テレビでもって買え買えといろいろな新製品を紹介されると、確かにそれは必ず買わなくちゃいけないものじゃないし、ただ広告をしているだけであって、選択力というのは一般職祝着、一般市民側にあるのですけれども、やはりそういった大雄消費時代ですか、そのために、新聞を見ても広告は載っている、雑誌にも載っている、つまりマスコミを広告が占領している、そういうことになってみれば
それが極端に、やはり国によっては一種類しかないとか、それから数えるほどしかないというふうな状態、つまりそれもまた選択力があまりなさ過ぎると、程度問題でございますけれども、やはり外側がちょっと違っているとか、そういうかっこよさに引きずられてものを買うという、そういう傾向ももちろんございます。